はたラブスタイルー今井久美子 はたラブスタイルー今井久美子 はたラブスタイルー今井久美子
はたラブスタイルー今井久美子
プロフィール

会社名 はたらぶスタイル
設立 今井久美子
資格 サバイバルワークスタイリスト
国家資格キャリアコンサルタント
認知行動コーチ®
出身地 千葉県船橋市出身
学歴 千葉大学文学部史学科卒業
趣味 歴史・菜根譚を読むこと・イラストを描く
メールアドレス contact@survivalwork.net
*旅行業、不動産業、リフォーム業で就業、派遣社員から統括部長まで様々な立ち位置で仕事に関わる。
パワハラ、退職勧奨など社内での逆境をはねのけた経験から「強みを知る大切さ」「逆境から成果を出す方法」を体感する。
現在、はたらぶスタイル代表として「ぽっきり折れない」「逆境でも成果をだす」仕事術セミナー、「強みを見出し、価値を生み出す」個別カウンセリングを行っている。自分の人生そのものであった「仕事」「サバイバル」をキーワードに、特に中小企業で働くアラフォー女性管理職の「砦」「シェルター」として活動。
働くすべての人が仕事を楽しめる世の中にするべく、日々奔走している。

結婚して24年経った今でも週に3日はダンナさんと一緒に夕飯の食材を買いに行く「愛夫家」でもあります。

暗黒の大学受験時代から仕事の楽しさを知った大手総合旅行会社時代

はたらぶスタイルー今井久美子

私の仕事経歴は大学受験時代にさかのぼります。大学受験のストレスで心を病み、人の目が怖い、電車に乗れないなどコミュニケーション不全になります。そういう状態でアルバイトをしていましたが、一か月もたずクビ!が続き、自信喪失。本当に毎日「明日隕石が空から降ってくればいいのに」と願っていました。

転機はすぐに訪れます。電車にも乗れない状況でしたが少しずつ良くなり、家族、受験時代から支えてくれていた友人、現在の主人のおかげで、何とか就職は出来ました。当時「バブル全盛期」だったことも幸いしたと思います。

大手旅行会社に入社、「日付変更線超えて(夜中の12:00)働くのがわりと普通」の環境で仕事の「楽しさ」に目覚めます。「自分の考えやアイディアが採用」されたり、新入社員なのですが「自分の担当」があり裁量権があったことが大きかった。毎日お祭り騒ぎのような日々でした。北米ツアー、留学部門など担当し、テレビに出演するなど企画力を評価されるまでになります。

その後、主人の転勤でイギリスに2年間駐在。到着後一か月で「英語ウツ」でしんどい思いをしながらロンドンオフィスでスーパーバイザーとして国際色豊かな現場で、(ヨーロッパ各国からスタッフが集まっていました)「からかわれ」「いじめられ」「ブラックジョークに悩まされ」ながら「常識」の枠を広げてゆきました。この2年間は今でも宝物のような日々です。

帰国後、一度退職した大手旅行会社で派遣社員として働き始めました。コールセンターだったのですが、最初は嫌でした。「やらされ仕事」のように感じていました。でも1日100本くらいさばけるようになると「こうすれば早く電話が取れる」「早くパソコンに打ち込める」自分で工夫していったら楽しくなりました。

「契約社員昇格試験があるから受けないか」とのことで契約社員になり「留学部門」を立ち上げ「50歳からの留学」企画でテレビに出演しました。テレビ出演は人生2回目。つくづく目立ちたがり屋なんです。

功績を認められ当時出戻りでは初の「正社員」に昇格しました。私の記憶では会社初の出戻りだったんじゃないかと思います。しかし本社の意向で留学部門が廃止されてしまうのです。茫然自失状態でした。これから何をやりがいに仕事すればいいんだろう、いっそすべてあきらめて平穏にやるか・・・と思ったときに、

中小ベンチャー旅行会社から不動産会社へ・・・役職は得たけれど

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40歳で中小ベンチャーホールディングスにスカウトされます。この転機は今振り返っても自分史上類を見ない大事件でした。レヴィンソンという心理学者が「中年の危機」と40歳から45歳の人生半ばの過渡期の重要性を説いています。見事に当てはまってました(笑)女性にはあてはまらないらしいですが、個人的にはあたってるなあと感じています。

当時、とにかく役職が欲しくて、「役職もらえるならどこにでも行く」という感じでした。初のベンチャー・中小企業に戸惑いながらもジェネラルマネージャー補佐から統括部長に昇格、有頂天になります。実体は大赤字の海外宿泊事業の責任者。海外に単身出張、ン億の債務放棄をやらざる得ない状況に追い込まれます。海外オフィスで何回も泣きました。当時の心境は「辛い」というレベルではなく「地獄」でした。しかも責任者としてクビにされかけたのです。まさに満身創痍、ボロボロでした。

追い打ちをかけるようにオーナーの鶴の一声で「「旅行会社から不動産会社」に業態自体が変わりました。もう驚天動地、絶望と混乱、どうしていいかわからない状態。役職も4階級降格し失意のどん底をさまよっていました。

でも「やってみようか」と。不動産業を。「私は、やれば、何とか出来る」そう思えたのです。

1日80本電話するコールセンター(不動産素人の集まり)後、宅建士資格取得、実需の買取再販営業として「担当部長」になります。250人の営業の中「女性」「素人」の営業は初めて。 「4か月で成績出せなければクビ」という過酷なノルマ。「涙が止まらない」など心折れそうになることも何度もありましたが最終的に支店長にまでなってしまいました。

自分の経験が誰かの勇気になる

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その後リフォーム会社設立初期メンバーとなったのですが、またまた地元の不動産会社にスカウトされ、「買取再販部」を立ち上げ部長になります。考え方の違いで社長と大喧嘩して退職勧告されたこともありますが、うやむやにされました。でも一度「退職勧告」されるともう心が離れる、というか疲れるのですよね。「これはもう起業しよう」と決意し、約3年半在職し、最後は2か月休職した後退職しました。

「自分の経験は誰かを勇気付けられるんじゃないか」「自分の考え方や仕事への姿勢は今仕事ツラいと思っている人に役立つのでは」と思ったのが最初のきっかけです。「はたらぶスタイル」は本来仕事は楽しいもの!という私の信念がもとになっています。同時に「まさに、どん底」経験も豊富(?!)ゆえに「辛い・・・」という気持ちを受け止めたいと。

私には主人がおりますが彼がいなければ今の私はありません。大学時代に心を病んだときから、ずっとシェルターのように私の心を守ってくれました。本当に感謝です。次は私がシェルターになり、扉を大きく開けて「仕事がツラい、苦しい」貴女によりそう番です。

今井久美子 拝

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